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500万年前、アウストラロピテクスは樹上を捨てて地上に進出しました。
250万年前、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスは、岩場や洞窟に生息することで外敵や自然環境から身体を保護していました。洞窟からは彼らの居住の痕跡が発見されています。その後20~30万年前頃に出現したネアンデルタール人も、洞窟に住んでいた証拠となる痕跡が大量に発見されています。

“洞窟に住む”という行為は天然の地形を利用するわけで、
自ら創造する“建築”という行為からはほど遠いです。
それでは一体どうして、ヒトは自ら家を建てるという行為をするようになったのか?その答えはヒトの生活環境の変化にあります。

高い知能という生存戦略を得て増殖に成功した人類は、より広大な平地へと生息地を拡大してゆくことになります。しかし平地には洞窟がありません。しかしそれでも人類は、過酷な環境から身を護るための“住居”を確保する必要がありました。そしてヒトは自らの、そして子供の生命を護る必要に駆られ、建築という行動をはじめるのです。人類の”建築する”という行為の起源は、ヒトの日常の変化にありました。

 

2万5000年前、シベリアの狩人たちは、マンモス類の骨や象牙を柱にしてテント型の住居を創造しました。その後5000年前の日本では、三内丸山遺跡の巨大な居住空間の建築にまで発達することになります。

ヒトはこれからも建築することを止めないし、止めることができないでしょう。
ヒトが閉鎖的な空間を求める=建築するという行為は、ヒトという生物の根本的な肉体の脆弱さに起因するからです。

 

140913_Sannai-Maruyama_site_Aomori_Japan01bs6bs6(wikipedia項目:三内丸山遺跡より画像引用)

 

1972年に竣工された中銀カプセルタワービルは、
黒川紀章氏の代表作であると共にメタボリズム建築の代表作です。

1964年の東京オリンピックに先駆け、かつて日本のメタボリストたちが世界を席巻した時代がありました。50年前、高度経済成長という当時の日本の人口増加圧力と都市の急速な更新/膨張に応える建築が必要だという考えから、ヒトの生活の変化に応じて空間を取り替えてゆくという発想の“新陳代謝する建築”が誕生しました。成長をあらかじめ組み込んだ建築構造、自己増殖する都市。メタボリズムの運動は中銀カプセルタワーのような個人部屋レベルでの新陳代謝にとどまらず、時代にあわせて有機的に変化し続ける大規模な建築や、抜本的な都市計画として提案されていたのです。その概念は建築の範疇を超え、日本の国家像、未来像の形成にまで及ぶものとなりました。

しかし、“建築が新陳代謝する”というメタボリズムの概念が普及することはついにありませんでした。

この摩訶不思議なカタチの「中銀カプセルタワービル」は、メタボリズムの実現に至った数少ない建築ですが、新陳代謝=カプセル交換されることは、約45年間いちどもありませんでした。本来の機能を活かすことのないまま存在しつづけ、現在では老朽化もかなり進んでいます。しかしそんなカプセルタワーの姿を懐古主義的に見ることや、SF的な様相を愛でるようなことをしても、たしかにある種の萌えはあるものの、それは破滅に向かっていくだけのフェティシズムに過ぎません。ノスタルジーには何の意味もない。過去の遺物を見ながらも、視線はいつも未来像を夢想して問うことが大切です。実現こそされなかった“新陳代謝する建築”の概念ですが、たしかに新陳代謝というテーマは重要だった。中銀カプセルタワービルは、メタボリズムという運動を風化させないためのシンボルとしての役割を担う必要があると思います。

 

img009 のコピー石井七歩《Perfect Woeld – Nihonbashi》2016年/インクジェットプリント、インクペン/297×420mm

 

2016年現在、東京では天空へと空間が積み上げられた集合住宅が乱立し、人々は自らの生活レベルに合わせて様々な集合住宅の空間を入れ替わり立ち替わり新陳代謝しています。また、細胞のように空間が並べられた大型ショッピングモールでは、あらゆるテナントが入れ替わり立ち替わり新陳代謝して、時代のニーズに合わせたサービスを供給しつづけています。

独身だった男女が結婚すればワンルームから1LDKに引っ越すでしょうし、子供が生まれれば3LDKに引っ越すでしょう。お母さんは近所のショッピングモールで流行しているカジュアルブランドの服を購入し、お父さんが勤めている渋谷の狭い雑居ビルに入っている中小企業は、ビジネスの拡大とともに六本木ヒルズにオフィスを移動するかもしれません。建築物がまるごと物質的に代謝するわけではないものの、人々が代謝しやすいように建築空間がデザインされていることは事実です。時間の経過とともに入れ替わる/代謝するという状態は、人類の日常が繁栄しつづける限り、必然的に生じるものなのです。

 

約2万5000年前、ヒトは自らの弱さ故に家を建てました。その行為は2万5000年間ずっと変わることがなく、そしてこれからも変わらないでしょう。そこにヒトが存在する限り必ず建築が存在し、そして都市が存在します。これからもヒトが代謝しつづけること、ヒトの日常が合理化にむけて進化しつづけること、そしてヒトの生命活動の保持には建築が必要であること。これらは今後も半永久的に事実でありつづけるでしょう。

それではこれからどんな建築が誕生し、どんな都市の光景がひろがってゆくのか?
私は東京の景観に、行き詰まり感を覚えるのです。現在乱立している、人々やテナントやオフィスが代謝しやすいようなビルの形状が、ひとつの最終的な答えなのではないでしょうか。

 

img008 のコピー
石井七歩《Perfect Woeld – Aotama》2016年/インクジェットプリント、インクペン/297×420mm

 

竣工から30年経って素材的にも外観的にもオワコン感が訪れたビルは、建て直されるか改装されて再び価値を取り戻す。しかし現在の建物が30年後に建て直されたとして、たとえそのあいだに空飛ぶ車が誕生したり、驚くほどテクノロジーが進化していたとしても、重力を操るものすごい技術でも誕生しない限り、細胞が縦に横に連なるようなこの基本構造以上に合理的なカタチは存在しないのではないでしょうか。メタボリズム建築のようにユニットごとに入れ替えるよりは、人間のほうに移動してもらったほうが早いし安い。いくつかのシンボリックな建築は生まれるかもしれませんが、基本的には建築物の全長が高くなったり、素材が新しいものになる以上の変化は想像できない。メタボリズム運動が活発だった50年前ほど、都市に対して想像する余地は残されていないのではないでしょうか。

今回の作品群、そして展覧会名には「ブロークン・トーキョー」と名付けました。

文字どおり東京の街が物理的に破壊されたり、この街はもうダメだという悲観的な意味ではありません。
人々が合理化に合理化を重ねた結果、もともとその場所にあった特徴(異物)がどんどん取り除かれ、非効率的な異物に溢れたトーキョーが淘汰されてゆくような、そして合理的だと判断された要素のDNAが継承され、より合理化したトーキョーが生成されてゆくような、連続する“破滅と再生=進化”を想って命名しました。同じ時代に同じ都市に存在する者として、一緒に考えていただければうれしいです。

石井七歩